第一回「杭州仏教文史文化学術シンポジウム」が開会され、光泉大和尚が式辞を述べる

   2014年11月23日、第一回「杭州仏教文史文化学術シンポジウム」が杭州で開会され、杭州仏教協会の会長、霊隠寺住職の光泉大和尚が出席し、式辞を述べた。今回のシンポジウムは杭州市政協文史研究会による主催で、浙江省浙江歴史文化研究センターによって運営され、杭州仏教協会の共催によって開催されたものである。中国社会科学院名誉学部委員の楊曾文教授、南京大学中華文化研究院院長の頼永海教授及び浙江省浙江歴史文化研究センターと杭州文史研究会の専門家や学者が多数、出席した。杭州市委、杭州市人民政府、杭州市政協、杭州市民族宗教局の関係者もこの開会式に参加した。

  光泉大和尚は式辞の中で以下のように述べた、「ご周知のように、中国仏教は天山山脈の下のシルクロードを通って、中国に伝わってきたものであり、杭州仏教もまさに印度僧によってもたらされた。例えば、慧理禅師が霊隠寺を、宝掌禅師が中天竺寺と中印寺を建立したように。これらは仏教文史研究においては、注目すべき文化現象である。また、宋以後、杭州仏教が盛んになるに従い、その影響力は次第に東南アジアにまで広がった。数多くの留学僧が杭州にやってきた。中国仏教史では、宋時代は正に海外に中国仏教文化を伝えた重要な時期であると言われる。径山茶道の海外伝播もその一つである。また日本の資料によると、当時杭州に来た日本僧は寺院の殿堂建築や家具の寸法などを精密に記録し、絵に描いて、日本に持ち帰り、日本で再建したと言われる。宋時代の杭州は仏教文化の伝播において重要な位置を占めており、杭州の仏教歴史文化の再建に大いに役立つと思う」と述べた。。

今回の杭州仏教文史文化学術シンポジウムでは40名ほどの学者が論文を発表し、仏教文化と杭州の歴史、文化、社会、経済などとの間にできた深遠な影響を中心に討論する。また、杭州地区の文史記録をより深く研究し、整理することによって、杭州ないし浙江省の文史研究に大いに寄与するとみられる。

第一回「杭州仏教文史文化学術シンポジウム」の会場

式辞を述べる杭州仏教協会の会長、霊隠寺住職の光泉大和尚

出席者全員の記念写真