光泉大和尚が普陀山に巡拝す

 光泉大和尚が僧俗の弟子を率い、普陀山に巡拝す

   2013年7月13日、本寺院の住職光泉大和尚20名あまりの僧俗弟子を率いて普陀山に赴き、巡拝した。そして、この自らの敬虔な巡拝を以て、現に仏法を説き、世の人々に中国現代僧侶の精進、正行、苦行、救済の清浄かつ荘厳な姿を自ら多くの人に印象づけた。

 

 光泉大和尚が先頭に立ち、普陀山の麓にある山門から跪いて拝し始める

  当日午前、光泉大和尚一行は普陀山に到着すると、山門から直ちに三歩一拝(三歩歩み、一回拝すること)を始め、巡拝の古道に沿って、普済寺までこのことを行った。猛暑で衣が濡れても、曲がりくねった山道で体に傷ができても、三時間も頭を地につけて拝をすることによって如何に疲労しようとも、また途中、観光客から如何に異様な視線で見られようとも、こうして巡拝した人々の固い信心は微動だにしなかった。

 額にできたシミは真の修行者の巡拝過程を証言している

 

巡拝路の石階段は修行の障碍と厄難が修行者にとって、一番いい試練であると証言しているかのようだ

 光泉大和尚が弟子たちの勇猛な精進を励ましている

  衣を巻いて跪き、大和尚は千年の歴史のある霊隠寺の住職という尊い身分を捨て、直ちに僧俗の弟子の中に入り込んで皆と一緒に参拝した。体中の汗、額のシミ、敬虔な跪き、動揺のない姿。しかしこの時、大和尚はすでに神秘な壇上から降り、今は、ただ普通の出家者、敬虔な修行者となっていた。

 真の修行者の敬虔さ

巡拝の道

  終点の普済寺に到着した時、周りの観光客や参拝者たちは、大和尚に面識があろうが、なかろうが、心から歓喜の情を生じ、恭しく合掌しながら、光泉大和尚のために、また、巡拝した人たちがスムーズに本堂に辿り着き、巡拝の旅の円満なる収束のため、その通り道を大きくあけてお待ちした。

体の疲れは信心を妨げる力にならない

普陀寺に到着

  普陀寺に到着した光泉大和尚は円通殿にある、荘厳かつ慈悲深い毘廬観音像の前で合掌し礼拝した。これは、決して大慈大悲観音菩薩に自分の修行成果を報告したのではなく、菩薩の慈悲と悲願を乞い、この世の一切有情無情の衆生を庇ってくださるようお祈りしたのである。

大慈大悲観音菩薩像の前で祈祷す